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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)1784号 判決

原告 和田兼一 外一名

被告 川義株式会社

主文

一  被告は原告らに対し各金七八〇万四〇四九円及び内金三二五万円に対する昭和五三年八月一三日から、内金三八五万四〇四九円に対する昭和五三年一〇月一日から、残金七〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らその余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実、同2のうち(一)及び(二)の事実、同(三)のうち康裕が昭和五三年八月一三日に勅使川原に殺害されたこと及び当時康裕は満一八歳であつたことは当事者間に争いがない。

二  まず康裕死亡に至るまでの事実経過についてみるに、成立に争いのない甲第一号証、第四ないし第八号証、第一一号証、第一三号証、乙第五号証、第六号証の一、二、証人荒井英明、同谷口清の各証言、原告和田兼一、被告代表者各本人尋問の結果を総合するとつぎの事実が認められる。

1  (康裕の経歴)

康裕は昭和五三年三月岐阜県立郡上北高等学校を卒業し直ちに被告に入社し、本件社屋四階の独身寮に住み込み、就労していた(右の事実は当事者間に争いがない)。康裕と同時期に入社したのは、康裕のほか荒井、大橋、黒木らで、そのうち独身寮に入つたのは康裕と荒井の二名であり、両名は賄付で寮生活を送つていた。右康裕らは営業社員として入社したものであるが、数か月間は見習と呼ばれ、営業活動を見習うほか、研修を受けたり雑用をしていた。給料として月額一一万円、賞与は夏季本給の二か月分、冬季同三か月分(但し入社初年度は除く)と定められ、康裕は入社後精勤し、寮費を差引かれた後の八万円余を受取り、その中から毎月四万円程預金し、昭和五三年六月には、夏季賞与として三万二〇〇〇円の支給を受けた。

康裕は、昭和五三年四月頃一年先輩の大平が宿直していた晩に、被告を訪れたもと被告従業員の勅使川原を紹介され、同郷であることから親しみを覚え、その後時折訪れる同人と本件社屋内で話をしたり、飲食したりした。しかし康裕は、勅使川原が或る不法な目的のもとに被告を訪れ、康裕ら若い従業員に接近するものであることを知るに至り、それ以来同人を警戒するようになつた。

2  (勅使川原について)

勅使川原は、昭和五二年三月岐阜市内の高等学校を卒業して被告に入社し、本件社屋の寮に入つた。同期入社は勅使川原のほか浅尾、大平、滝沢、谷口、山内らで勅使川原ほか二名が寮生であつたが、同人らは同年一〇月頃から一般のアパートに移り、会社に通勤していた。しかし勅使川原は無断欠勤が多く、勤務態度も悪いため、上司から注意されそのため嫌気がさして昭和五三年二月二八日被告を退社し、尾西市内の呉服店に勤めたがそこもしばらくして辞め、同年七月頃からは無職となつた。

勅使川原は被告に勤務していた昭和五二年九月下旬頃から伝票記載を偽るなどして被告の商品である反物類を一回に二ないし五点宛盗み換金していたが、被告を退社してからも夜間に宿直中のもと同僚やその後親しくなつた康裕ら新入社従業員を訪ね、同人らの隙を見ては反物類を数点宛盗んで(万引)いた。昭和五三年七月一三日勅使川原は反物類を窃取すべく被告を訪れ、宿直中の谷口と雑談した後段ボールの空箱をくれと言い、谷口がこれを承諾すると、勅使川原は右空箱に反物を隠して持去ろうとした。これを谷口が発見し勅使川原から取戻した。勅使川原はそのまま帰宅したがその後問題化していないため、右未遂事件は谷口において握りつぶしてくれたと思つていたが、谷口は右事件を康裕ほかの若手従業員に話し、今後勅使川原が来ても社屋に入れないようにしようと申し合わせた。しかし右事件は被告従業員の上層部や会社役員には伝わらなかつた。

3  (本件事故)

勅使川原は、再び被告の反物類を窃取しようと考え、お盆休みで新入り従業員が宿直していると思われた昭和五三年八月一三日(日曜日)午後九時頃、自動車で被告を訪れ、本件社屋表側壁面に設置されているブザーボタンを押したところ、くぐり戸が開き中から康裕が顔を出した。康裕は同日午後九時から翌一四日午前九時まで宿直勤務を命ぜられたものである(この事実は当事者間に争いがない)。なお寮生の荒井は同年七月一杯で被告を退社したため当時本件社屋内には康裕一人しかいなかつた。勅使川原は康裕に対し、「久しぶりだなあ」と声をかけ、康裕が「やあ先輩ですか」と答えると、勅使川原は「トイレを貸してくれ」と言つたので康裕はこれを許し、勅使川原は社屋内に入りトイレを使用した。その後勅使川原が帰らないので康裕が「今日は社長が出張に行つている。もうすぐ帰つて来るので早く帰つた方がよい」旨作り事を言つて退去を促したところ、勅使川原は反物窃取の目的を遂げず帰つて行つた。しかし勅使川原は諦め切れず、同日午後一〇時四五分頃再び本件社屋前に来てブザーボタンを押したところ再びくぐり戸が開いて康裕が顔を見せた。勅使川原は康裕に対し「社長は帰つたか」と聞いたので康裕は「鞄を置いてすぐ帰つた」と答えた。しかし勅使川原は、先程追い帰されたばかりで特別の用件もなく、従つて康裕から許可されないのに康裕の意に反して社屋内に入り込んでしまつた。康裕は谷口らとの申し合わせに従い勅使川原を社屋内に入れないようにしようと考えていたが勅使川原が入り込んでしまつたため、勅使川原が「明日は郡上の家に帰るのか」「盆休みはどうするのか」などと話しかけても答えず「あんたに話すことはない」と冷たい態度を示すとともに暗に退去を促した。そのため勅使川原は以前の好意的な態度とは違うので立腹し、康裕にその点を注意しようと考え「そこに座れ」と命じ、康裕が一階商品展示場畳敷部分に正座すると、これに相対して座り色々と話しかけたが康裕はなおも反抗的な態度を変えず、勅使川原に対し、率直に「あんたが来ると反物がなくなる」「あんたが来たことが判ると僕が叱られる」と言つた。

それを聞いた勅使川原はいたく憤激するとともに、これまでの犯行が康裕にも知られてしまつていることを知り、以前谷口に発見されたときは同人は握りつぶしてくれたが、康裕は見逃してくれそうにない、反物類を盗むには康裕を殺害するほかないと考えるに至り、急に殺意を抱き、立ち上つて後方の棚にあつた荷造り用ビニール紐をとり出し、これを伸ばして両手に持ち座つている康裕の正面からいきなり同人の頸部に押しつけ、素早く同人の後方に回つてその紐を頸部に巻きつけて両手で絞め上げ、更にもう一回巻きつけて力まかせに絞めつけ、右紐を結んで同人を仰向けに引き倒した。そして康裕が動かなくなつたので急ぎ三階に上り段ボール空箱二個を持つて来て一階及び二階に展示してあつた被告所有本場大島紬など反物類六五点(価額合計二五一万九五五七円)をつめて持ち去ろうとした。そのとき康裕が呻き声を上げたように思つたため社屋内にあつた木製野球バツトで同人の顔面を二回位殴打した。康裕は同日午後一一時過頃右絞頸により右場所で窒息死した。勅使川原は盗んだ反物類及び右バツトを自動車に積み込み逃走した。本件事故は翌朝午前八時三〇分頃宿直勤務のため出勤してきた従業員によつて発見された。

三  つぎに被告の責任に関係する事実関係についてみるに、前掲甲第四号証、第七号証、第一一号証、第一三号証、成立に争いのない甲第三号証の一ないし五、第一九号証、乙第九号証、原本の存在及び成立につき争のない乙第八号証、証人谷口清の証言、被告代表者本人尋問の結果を総合するとつぎの事実が認められる。

1  (本件社屋の状況)

本件社屋には夜間の出入口としてくぐり戸が設けられていたが、この戸又は近くにはのぞき窓はなく、呼出用のブザーボタンのみが近くに設置され、また防犯ベル等の設備もなかつた(右の事実は当事者間に争いがない)。本件社屋は、建物としての機能に欠陥はなく、窓、戸は堅牢で錠は整備されており、鉄筋コンクリート造りであるため、戸締りを十分にしている限り、外部からの盗賊の侵入を防止することは可能である。しかし夜間宿直中に誰かがブザーボタンを押しても社屋内にいる宿直員はくぐり戸を開けて見ないとそれが誰であるか確かめることは困難であり、くぐり戸を開けた途端その者が社屋内に押し入つてしまうと退去させることは非常に困難である。また附近はいわゆるビジネス街で夜間は極端に人通りが少なく、本件社屋内で異常事態が発生しても近隣の人々や通行人に目撃、感知される可能性は殆どなく、大声で助けを求めても効果はないと考えられる状況にある。

2  (商品の保管状況)

被告の取扱商品には、高価な反物、毛皮、宝石類があり、反物や毛皮は特に施錠された保管庫等に収納されることなく社屋内に置かれていた(右の事実は当事者間に争いがない)。本件社屋一階には畳敷きの商品陳列場があり、両側の棚や中央部畳の上に反物類が整然と積み並べられ、二階畳敷き商品陳列場にも畳の上に反物が整然と積み並べられている。同階八畳間はネツクレス等の入つたガラスケースが置かれ特に施錠されていない。三階にも畳敷商品陳列場があり、主に毛皮類がハンガーに掛けられて展示され、また一部は箱に収納されて集積されている。同階南側和室前には金庫があり、商品である宝石、貴金属類が納められており常時施錠されている。そしてその鍵は指定された責任者(二名)が保管している。四階も毛皮類の陳列場となつており、また独身寮に当てられた和室が二室ある。なお右反物類の陳列方法は業界からみて特異なものではない。

商品は、高価品については一品一品に番号等が付せられ、特定された状態で仕入帳、売上帳に記載されるため、帳簿上在庫数の把握は正確に行なうことができるが、帳簿又は伝票の記載を故意に偽ると紛失又は盗難にあつても判らない。また社屋内の商品陳列場は一階から四階まであつて広く、また開放的な陳列方法であるため従業員の監視の隙に、夜間宿直員が一人となつた時などは特に来訪者によつて商品を盗まれる(万引)こともあり得る状況である。

3  (宿直制度)

被告には「直」と称する宿直制度があり、平日は午後六時から翌朝午前八時三〇分まで、土曜は午後六時から翌朝午前九時まで、日曜祝日は午前九時から翌朝午前八時半まで、但し翌日が休日のときは午前九時までと定められ、被告代表者以下男子従業員全員が一人宛交替制で実施している。宿直員の仕事は、夜間の営業、即ち夜間における小売業者との商談又は小売業者への商品の引渡、電話による受注、運送業者への発送品引渡、帰社した出張員からの売上金受領、同金員の金庫への収納等があり、また盗難防止のための戸締り、見回り等、更に火災予防のための見回り等も含まれている。宿直員に割当てられると寮生であつても宿直員の指定就寝場所である一階商品陳列場の一隅で就寝しなければならない。なお毎年八月一二日から同月一六日まではお盆休みでその間の宿直は、被告代表者その他の役員と、その年に入社した従業員とがこれに当る旨の慣行が存在していた。昭和五三年八月一三日は当初荒井に予定されていたが、同人が七月末日をもつて被告を退社したため康裕に変更された。

4  (商品紛失事故)

被告は昭和五二年一〇月頃から商品の紛失事故が発生していた(この事実は当事者間に争いがない)。紛失するのは大島紬など高価品であり、少量ずつではあるが二度、三度と続くので被告代表者は責任者を集め、手続きミス、外部犯、内部犯等種々の原因を想定して調査したが判明せず、結局考えられるあらゆる可能性に対処する趣旨で全従業員を集め、紛失事故がないよう注意すること、特に商品持出しを厳正にすること、夜間の戸締りを厳重にすることを指示した。しかし紛失事故はやまなかつた。なお昭和五三年七月一三日宿直員の谷口は勅使川原の反物窃取を見付けたが、直属の上司である松野に話したのみで上層部には話さず、松野も自己の段階で問題を処理しようとしたため上層部に報告しなかつた。結局勅使川原は退職後本件事故の際の犯行を含め、七、八回犯行をくり返していた。

5  (不審な電話)

本件事故発生前被告会社に不審な電話がたびたびかかつて来ていた(右事実は当事者間に争いがない)。即ち昭和五三年六月頃電話がかかり被告代表者が出ると勅使川原からであり、康裕に取次ぎを依頼された。そして勅使川原と康裕は交話したのであるが、右代表者は、同年二月に被告会社を退職した勅使川原が同年三月に新しく入社した康裕に如何なる用件があるのか不審に思つたので、康裕に対してその旨尋ねたが、理由が判然としなかつたため、勅使川原とは交際しないよう注意をしておいた。康裕は右代表者から叱られたと思い勅使川原から電話がかかることを苦にし、そのことを同僚にも相談していた。

また、同年八月六日(日曜日)被告代表者が宿直をしていたとき、午前一〇時過頃電話があり、右代表者が「川義です」と言うと電話は切れた。ついで同日午前一一時頃再び電話があり、受話器を取つて黙つていると向うも無言で電話は切れた。更に同日午後六時頃電話がかかり、右代表者が出ると「寿司幸さんですか」と聞くので「違う」と言うと再度同旨のことを聞き電話を切つた。このときの声は確かに勅使川原の声であると感じられた。更に同年八月一三日に仕入責任者の鈴木が在社していたところ、午後七時過頃電話がかかり、受話器をとると無言のまま電話は切れた。この事実は本件事故後上層部に報告された。

四  そこで被告の責任につき判断する。

1  使用者は労働契約に基づいて労働者からの労務提供を受領するに当り、使用者がなした具体的労務指揮または提供した場所、施設等から危険が労働者に及ばないように労働者の安全につき配慮する義務があると解されるところ、本件についてみると、前認定によると使用者である被告は康裕に対し、昭和五三年八月一三日午後九時から二四時間の宿直勤務を命じ、宿直勤務の場所を本件社屋内、就寝場所を同社屋一階商品陳列場と指示し、これらの場所を康裕に提供したのであるから、被告は右指示した宿直勤務ないしは右提供した場所から危険が発生しないように危険の発生そのものを防止するか、発生した危険から容易に逃れられるように回避措置を講ずる義務があつたといわねばならない。本件につきこれを更に具体的にいうならば、宿直勤務の場所である本件社屋内に、宿直勤務中に盗賊等が容易に侵入しないように物的設備(例えばのぞき窓)を施す、万一盗賊が侵入した場合はこれが加えるかも知れない危害から逃れることができるような物的施設(例えば防犯ベル)を設ける、そしてこれら物的条件を十分に整備することが困難であるときは、宿直員に対する教育を十分に行なつて宿直員の危険回避に関する知識を高め、危険に対する適切なる対応能力を養成し、もつて物的条件と相まつて危険が労働者に及ばないようにする義務があつたものといわねばならない。右使用者に課せられた具体的安全配慮義務の内容は、本件労働契約の趣旨、内容、命じた宿直勤務の内容、提供された勤務場所及び施設等を総合し、これら事実関係のもとで条理上導き出されるものということができる。

2  被告は、抽象的には使用者に右の如き危険発生の防止または危険回避措置義務があるとしても、本件事実関係のもとでの本件結果発生について防止義務はなかつたと主張する。そして使用者のなした具体的労務指揮または提供した場所、施設等から生じたものではなく、これらとは無関係に生じた危険や、右具体的な労働指揮または提供した場所、施設等から生じた危険であつても使用者にとつて管理し得ない事由或いは予見し得ない事由によつて生じた危険については、もともと使用者に防止義務を課することができないというべきである。そこで本件につき判断するに、前認定の事実によると、被告は本件社屋を所有し、高価な商品を多数陳列、保管して営業のために使用し、かつ康裕をして宿直させ、右社屋内に一定時間留まるよう命じたものであるから、被告は右社屋を場所的に管理していたとともに宿直業務そのものも管理していたものというべく、被告所有の社屋内における従業員の宿直業務はまさに被告において管理可能でかつ現実にも管理していた(その程度は別として)被告の業務であつたといわねばならない。すると宿直員であつた康裕の上に生じた本件危害は、被告が管理していた業務遂行中に生じた危険というべく、使用者にとつて管理し得ない事由によつて生じた危険であるとはとうていいえない。そこでつぎに予見可能性の点につき判断するに、前認定の事実によると、被告の本件社屋内における商品保管状況は開放的であつて、犯罪の危険性ある者が見ると悪心を起こす虞れなしとしない状況であつて、被告としては休日とか夜間に盗賊が社屋に侵入すること、正規来訪者が万引等の方法で窃取することを予見することは可能であつたといわねばならない。特に前認定の如く、昭和五二年一〇月頃から商品の紛失事故が発生し、紛失の原因は判明せず盗難の可能性も考えられていたのであるから、宿直勤務中の盗難は十分に予見可能であつたというべきである。被告は更に盗賊の侵入は予見できたとしても殺人事件にまで発展することはとうてい予見不可能であつたと主張する。しかしながら前認定の事実によると、本件社屋はその構造上夜間には近隣と隔絶した状況となることが明らかであつて、何らかの方法で侵入した盗賊が宿直員と対面したとき、特に宿直員が一人であるときは、宿直員の対応如何によつては、盗賊が宿直員に危害を加えることがあるかも知れないということは予見可能であつたというべく、この点が予見できる以上、危害の程度はその延長線上において予想される最悪の程度を想定すべく、結局窃盗の目的で侵入した賊が宿直員に発見された場合、宿直員が一人であつて状況如何によつてはその盗賊は目的を達するため最悪の場合その宿直員を殺害することもあり得ると予想すべきであつたと解される。高価な商品を陳列、保管してある社屋内に一人宿直を命ずる場合は、宿直員の安全について右の如き最悪の状況を予想することは特別困難なことでもなく、使用者に対して不可能を強いることにはならない。本件康裕の死は、当時の状況に照らすときは被告において予見可能性があつたと認むべきである。本件調査嘱託の結果から明らかな昭和五〇年ないし同五三年における名古屋市内所在の事業所内で、午後八時以降翌朝午前八時までの間に発生した強盗殺人事件若しくは強盗殺人未遂事件は昭和五〇年に発生した強盗殺人事件一件のみである事実を考慮しても右結論に影響はない。

3  右の如く被告には具体的安全配慮義務があつたにも拘わらず被告は宿直員に対して戸締りを厳重にするよう指示したのみで、本件社屋について物的設備の充実並びに宿直業務についての従業員教育をしなかつたことが前認定事実から明らかに認められるから被告には右安全配慮義務についての不履行があつたものというべく、右不履行と本件結果発生との間には相当因果関係があると認められる。

4  被告は宿直員に対し戸締りを厳重にせよと指示していたのであるから、本件社屋の構造、設備からみると、戸締りを厳重にしておれば盗賊の侵入予防には万全であり、それを遵守しなかつた康裕に責任があり、被告には債務不履行の責任はないと主張するが、正規の来訪者を装つた盗賊に対処する措置は、物的にも人的にも何ら講じていなかつたことが明らかであるから、右の如き戸締り強化の指示のみでは安全配慮義務についての完全な履行があつたということはできない。被告は一人制のもとでの宿直員に対し夜間の営業活動も命じていたのかであるら、正当な目的をもつて来訪する顧客に対してはくぐり戸を開いて応待する義務があり、正当なる来訪者か不法目的を有する侵入者かを識別すること及びその方法如何が問題であつて、一律にくぐり戸を含めて戸締りを厳重にせよと命ずるだけでは不十分であつて、被告の右主張は理由がない。

5  つぎに被告は、本件結果発生を阻止することができなかつたのは、被告の責に帰すべき事由によるものではない、被告には故意または過失はなかつた旨主張するが、前認定の事実によると、本件事実関係のもとでは被告に予見可能性があつたと認められ、その他本件証拠によるも、本件結果発生が被告の責に帰すべき事由によるものではないことを認めることはできない。被告の右主張は理由がない。

以上によると被告は使用者として課せられた康裕に対する安全配慮義務を完全に履行しなかつたものというべく、これによつて生じた損害を賠償する義務がある。

五  損害〈省略〉

六  結論〈省略〉

(裁判官 井上孝一 棚橋健二 福崎伸一郎)

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